夜中犬と幸人くんの小宇宙
さて、4月の12・13日と剛君の舞台「夜中に犬に起こった奇妙な事件」を観劇してまいりました。ぶいさんとしては初めて見るのが剛君でよかったなとも思っています。
みんながどんな雰囲気でみているのか観察したかったし、各方面から絶賛の嵐の剛君の舞台はどんなものなのだろうかとも思っていたので!
がっつりネタバレになるかと思いますので嫌な方はすみません
さて世田谷パブリックシアターですが、もちろん初めての会場でどきどきしていました。600席と狭い会場でどのようなつくりかと思ったらとても面白かった、一日目は3階、二日目は2階だったのですが前の人の頭を気にすることもなく見れたのが背の小さい子にはうれしかったですね。
舞台は学校のようなセットで始まります、チャイムの音が鳴りしばらくするとピアノの音が流れます、この音がまた素敵で今回の舞台にはぴったりだったのではないかなと思っています。冒頭犬が死んでいるところから始まります。剛君ふんする幸人くんがその犬の横にしゃがんで見守っていて。
お話の流れは幸人くんの書いた小説を先生が追っていくような形式です、なので話の途中で流れが変わったり、先生がいきなり入ってきたりとなかなか難しい…
人とうまく会話することができない幸人くんは触られることを極端に嫌がります。黄色が嫌いです、知らない人も嫌いです。
大好きなものはボーボと宇宙と赤いもの自分以外の人間がいない閉鎖空間に居れば自分は宇宙飛行士にだってなれるんだ!そんな風に考えている子です。
大好きな宇宙に少しでも近づきたいそんな幸人くんの演出はすごく素敵でした、動いて持ち上げて抱えたまま動いたりそんな幸人くんは大切な犬のために事件の解決に挑んでいきます。
難しいのは一度こうと決めたことを曲げられない幸人くん、そんな幸人くんを誰よりも大切にそしていろんなものから守ってきたお父さんの嘘、自分の愛情をわかってもらえずいらだちを隠せないお母さんこの三人の関係性がとてつもなく悲しくて、でも実際もこんな風に本人や家族は当たり前に世間に晒されて生きているのだろうと。
劇中に場面転換時車の走行音がすごく大きく聞こえていました、どういう意図があるのだろうか、こんなにも大きい必要は?そんな風に思いながら見ていましたが、東京駅の場面ですとんと心の中に答えが入ってきました。
お母さんに会いに行くために幸人くんは大冒険をします。駅に向かう、切符を買う、改札を通る、電車に乗る、日々何気なくやっていることですが幸人くんのフィルターを通すとすべての標識、ポスター、用語が頭の中に流れ込んで、アナウンスが通常の何倍もの大きさで聞こえてくる。それが幸人くんの日常なのだと思うとすごく心が痛い思いに駆られました。
通常の道路を歩いているときも何気ない走行音が幸人くんには何倍もの大きさに聞こえてきて。
でもどうにかの思いでたどり着いたお母さんの家、最初はそれこそ仲良くやっていますが、住み慣れない環境知らない人それらすべてがストレス因子となりゆきとくんのもとへと降りかかってきます。
「自分以外の誰かのことを考えた事あるのか」
「幸人じゃない誰かが傷ついてしまうの」
幸人くんは自分のことだけ考えている訳じゃないの、幸人くんだって十分傷ついているの、なんでそれがお母さんにはわからないの?でもお母さんも必死に幸人くんのことを理解しようとしてどうにかいいお母さんでいてあげなきゃとがんばっていたように思います。
大好きな犬を通してまたお父さんと信頼関係を再構築できそうな幸人くん、眠くて疲れているから頭が働かない中で受かった数学検定準1級、遠く離れたお母さんのところまで自分一人で行ったんだよというような自信
「それって、なんでもできるってことじゃない?」
「それって、なーんでもできるってことじゃない?瑛子先生」
幸人くんの未来は明るく開けているようにも思えますが、その道は誰かが守り次々と現れる障害をクリアしてこそ成り立つ未来であって。
明るく希望に満ちた終わり方だとは思いましたがなんだか考えさせられる終わり方だとも思いました。
作品の最中何度も剛君の仕草や声、視線に胸が締め付けられ、言いようのない切なさがこみあげてきていたように思います。
幸人くんは一言「可愛かったよね」では表せない、素直で純粋で世の中の汚い所を知らない愛らしさに包まれた幸人くんといった様子でした。
カーテンコールは一転幸人くんよりも剛君が垣間見れたようで、盛り上がるのはいいですが舞台でお客さんが立ち上がるのはどうなのでしょうかとも思ってしまいましたが、二度三度見ても新しい発見があるのだろうなと素敵な舞台を届けてくれた剛君にはほんと感謝の言葉しかありません!